恋の神になれなくとも

未来の鍵は、雲の隙間から

「ジョウロウホトトギス」

おはようございます。録画したあさイチをループしすぎておかげさまで昼も夜も朝です。

 

すっかり春の陽気になってきましたね。

私はというと、久しぶりに朝ドラを見ております。

…バレましたか。笠松将くんはいいぞ!(急に大声出さないでください!)

 

 

改めまして。今年の4月から、NHK連続テレビ小説「らんまん」がスタートしました。私の最近の朝はこの「らんまん」から始まっています。

ざっとご紹介すると、神木隆之介くん演じる主人公・槙野万太郎(植物学者・牧野富太郎をモデルとした人物です)の冒険人生の物語です。

 

先ほど私が突然シャウトした俳優・笠松将くんは、主人公・万太郎の高知のふるさと「峰屋」という酒蔵の蔵人で、酒造りに勤しむ青年「幸吉」役で出演しています。

…ひとまずよかったら見てください。今ならまだ全然、ほんと全っっっ然追いつけます。テレビの前で私と一緒にヨッ!幸吉!コールしていただけたらこれほど嬉しいことはありません。

https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/plus/

 

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wander for wonder

(2023.04.20推敲)

どうも。なんだかんだ、もう三月。不定職者も確定申告の季節です。

今日も今日とて、懲りずに(※)笠松将さんという方の魅力について、持ちうる語彙力を総動員して表現したいと思います。

※過去記事でもいくつか笠松さんについてご紹介しています。

 

本日2022年3月12日、笠松将くんの主演映画「リング・ワンダリング」の名古屋での公開日です。

首都圏など、すでに公開が始まった地域もありますが、彼の地元である名古屋で公開日を迎えられたことをとても嬉しく思います。舞台挨拶もとても楽しみです。

 

最近お茶の間で見られる(た)ものを書き連ねるだけでも、大河ドラマ「青天を衝け」や連作ドラマ「岸辺露伴」シリーズ、そして今クールのドラマ「ムチャブリ」、先日金曜ロードショーで特別編が放送され、Huluで配信中の「君と世界が終わる日に」へと出演が続き、映画から地上波テレビから配信コンテンツから、これまで以上にさまざまなメディアで活躍されている笠松くん。

 

これまでは特定の作品にフォーカスして、笠松くんの演じる役のここがいいぞ!的な感じで書いてきたのですが、本記事では笠松将くんの芝居のここがいいぞ!」という私の日々感じている彼の演技の凄み(?)について勝手に書きまくっています。

 

みなさん。笠松将、かっこいいですよ。(この語句は定形文登録済みです)

 

彼のどんなところがかっこいいか、どこが好きかを一言で表現するには難しいですが、最近ひとつ分かったことがあって。

自分は彼の「葛藤」のお芝居がとても好きです。

 

人間、日々大小いろんなことに葛藤して、感情が揺らいで、せめぎあって。

葛藤ってなんとなく非生産的な行為に見えるし、何も迷わずスパッと決断する人の方が「かっこいい」と評価される場面ももちろんあると思うのですが、一方でこの気持ちの振れこそが、人間らしさであったり、人間として生きることのひとつの使命のようにも思います。

 

彼の「葛藤」の眼差しは、本当にいろいろなところに散りばめられています。どんなキャラクターも、何かに迷って、悩んで、考える。時には己に苛立ったりもしていました。

 

キャラクターは物語の中でさまざまな葛藤が描かれます。しかし、それはあくまでシナリオという「筋書きの中にある葛藤」であって、現実世界に無数に存在する日々の雑念も含めたうちの、特にシビアなものが厳選されているように思います。

 

ただ、彼の演じるキャラクターって時々、そういった洗練される過程を経ていない、どこか生々しい「葛藤」が見える時があって。

明るい子が時々険しい顔をする、とかならまだ分かりますが、普通に明るく振る舞っている時にも、どこか切実な眼差しがあったり。そんなに怒ってるように見えませんが?!みたいなところでやたら大声張り上げていたりとか。

 

最初は、先述の厳選がザルなだけかと思っていたのですが(本当にすみませんでした)、笠松くんの出演作品を拝見するうちに、どうもそれだけではなさそうだなと。

 

ご本人が意図しているかいないかはわからないのですが、一つの仮説に辿り着きました。

笠松くんはお芝居の中で、川の中に沈む砂粒や石ころくらい無数に存在するキャラクターの感情を、いろんな人の手を渡って作品が作られる中で角が取れたり、小さくなったり、取り残されたりする前に掬い上げてくれているのではないか。

 

そしてそれこそが、彼の演じるキャラクターが見る者と同じように大小日々さまざまな葛藤をしながら、生き生きと存在している理由なのではないかという気がしました。

 

実際笠松くんの演じるキャラクターって結構支離滅裂な行動に出たりしませんか?(歪んだ共感力)

そういうシーンに出くわして、よく私は遠慮なく画面に向かってなんでやねん!!と突っ込んでしまうのですが、その支離滅裂さこそが人間の制御が効かない葛藤を映した結果だと言われたら、ちょっと腑に落ちます。

 

実際現実世界にもそういう支離滅裂なことってたくさんありますから、だとすると彼の演じるキャラクターには、物語にリアリティをもって迫らせる魅力もあるのだろうなと思います。

 

画面を見ているその瞬間、キャラクターに100%のエネルギーでツッコませてしまう。彼の演じるキャラクターたちの、そうして颯爽と見る者の前に現れてくれるところが私は大好きです。

 

そして、これからの彼のお芝居にも、これまでの彼のお芝居にも、もっといろんな発見があるかもしれないと思うと、とてもわくわくします。

 

迷い込み、巡り会う。今日名古屋で公開されるリング・ワンダリングも、神秘的でどこか浮世離れしたような世界観に没入しつつ、笠松将さんが1人の人間として迷い、歩み、巡る姿を、眼差しを目に焼き付けてきたいと思います。

 

リング・ワンダリングの予告編はこちらからご覧いただけます!拙記事をきっかけに本作や、笠松さんに興味を持っていただきましたら、これほどの幸せはありません。

https://youtu.be/f9x9-mfiPSc

分からないが愛おしくて

(2023.04.20推敲)

記事が長くなりがちで反省しております。

 

聞いてください。私が人生でいちばん長くかけて応援してきた人がついにパパになりました。

拝啓、父上様です。

 

不思議な感覚です。学生時代だったら、おそらく泣いて寝込んだだろうと思うのですが。

20代も後半にさしかかった自分はこの知らせを聞いて、静かに「硫黄島からの手紙」を観始めていました。

 

硫黄島からの手紙」は、二宮和也を好きな人間ほど、引き込まれた途端に追い出される作品」だと私は思っています。

 

ただ、この「追い出される」と言う感覚は単なる疎外感とはちょっと違っていて。

もう少し正確に言うと、西郷を二宮和也としてではなく、作品の中に生きる1人の初対面の男として見ることができる、という感覚に近いかもしれません。

ちょうど自分がリアルな風景を偶然目にしたときと同じように、いい意味で彼からピントを外して常に作品の全景を見ることができる。

これって当たり前のようで、意外とできない気がするんです。

 

好きな人が出ている作品だと、どうしてもその人を目で追ってしまいがちじゃないですか。

やっぱり一挙手一投足、目に焼き付けたくなる。実際にはなかなかできませんが。

 

そして私のような怪文書を書くことが好きな人間は特に、好きな人のことを知りかじっていればいるほど、そのなけなしの知識握りしめて人とは一味違う感想を持ってやろうとか謎の意気込みを持ったりするんですよ。

 

でもこの映画ではまず無理です。

 

どれだけ私が、当時の二宮和也キャプテンからもらった餞別の5000円を握りしめてハリウッドに向かったエピソードを知っていようとも、スクリーンには毎日パンを焼いて、妻とお腹にいる娘とつましく暮らしていたところ、赤紙一枚で突然あの島に連れて行かれた青年しかいません。

 

 

二宮和也の芝居において一番私が慕っているのは、この「彼を知っていることが何のアドバンテージにもならない」ということです。

 

毎回、新鮮な驚きがあるんですよね。

こんな表情するのかとか、そのトーンでその言葉が出るのかとか。

おそらく彼単体ではなく、作品の風景の中に溶け込む人物として彼を見させてくれるからこそ、なせる技なんだろうと思っています。

 

ものすごく大きくくくると、一種の「ギャップ萌え」なのかもしれません。だいぶ強引ですが。

 

ベルリン映画祭の記者会見で自分は俳優ではない、日本では歌って踊っていて、5人のグループで活動していると語っていた同氏。

いつもコンサートでは、こちらに向かってい〜らっしゃいませ!と両手を広げてくれる氏。

 

 

そんな二宮和也さんが、気付けばご結婚され、お父さんになり。

また私の知らない彼のチャンネルがひとつ増えました。

 

好きな人に知らないところがあることが、面白いことなのだと気付かせたくれた、ユーモラスでチャーミングなアイドル。

 

おめでとうございます。ご家族ともに、どうか幸せで。

そして欲を言えば、いつかまた、私の知らない世界を教えてください。

 

これから先、このチャンネルあといくつ増えるかな。リモコン一本で足りますかね。楽しみです。

「糸切れた凧」に憧れた頃

(2023.04.20推敲)

少しご無沙汰しておりました。

 

前の記事を見てくださった方は、「(こいつまた笠松将くんの記事を書くのでは…)」と思われたかもしれません。

 

おもんなくてすみません。御名答!(身も蓋もない)

 

「花と雨」の感想を書きます。

 

実のところ、笠松将くんが主演ということは出演作品を調べた当初から知っていたものの、なかなか「花と雨」には手が出せずにおりました。

 

というのも、自分は今までHIPHOPを少し縁遠い音楽に感じていたというか、なんとなく近づくことが許されないジャンルみたいに感じていて。敷居が高いという表現が妥当なのかはよくわかりませんが。

HIPHOPって、自分の人生経験に裏打ちされたリアリティ、みたいな部分をすごく大切にしている音楽だと思っています。

 

なのでいざ自分の実体験のない部分に触れた時、無責任に薄っぺらーーい感想を持ってしまわないか、よく分からない怖さがあったせいで、めちゃくちゃ身構えてました。

ただ、インタビューで笠松さんが「親切な映画ではないかもしれません」と話していたのを読んだときに、少し吹っ切れたというか。

まあ!いっそ私がこの映画に値しない人間なら遠慮なく置いて行ってくれという境地に至り、当初のビビリよりもSEEDAさんの見る世界や、HIPHOPの世界観に触れてみたいという好奇心の方が勝ってしまって、「花と雨」を見るに至りました。

 

※以下、映画「花と雨」のネタバレがあります。

 

・・

 

あんなこと言ってましたが、映画を見るのを怖がってた間も、SEEDAさんのアルバム「花と雨」はひたすら聴いていました。

 

見るならSEEDAさんにも、笠松さんにも失礼のない人間として、リスペクトを持って見たいと思って聴き始めたんですが。

ただ、気付けば映画見る前にアルバムの方に惹かれてしまっていて。結局ミイラ取りがミイラになった気分です(誤用)

 

自分自身HIPHOP以外の音楽もアーティストも好きですが、このアルバム「花と雨」に関してはなぜこんなに惹かれたのか、未だにうまく説明ができません。

 

自分にハスラーの経験があるわけじゃないし、栽培マンにもなったことないし、一応家賃でバイト代が飛んだこともない。「アメリカで足に3発食らった」方からしてみたら唾吐きかけたくなるような人生を送ってきたと思います。

 

けど、この自分の中の信じられるもの、カッコいいと思えるものを武器に、眼下に広がる景色を知っていながらそれでも上を見ようとするSEEDAさんのスタンスと、それがにじむ音楽が私にはとても眩しく、頭が下がりました。

 

結果、映画「花と雨」で、パーカーのフードを被った笠松くん(演じるSEEDAさん)が仲間と路地裏で「週3?それ家賃で飛んでね?」と話している風景を見た時、夢が現実になったような感動がありました。SKiTだっっっっ…!!!と声が漏れました。

 

SEEDAさんが「花と雨」をリリースした時代をリアルタイムに知ることができなかった身としては、当時のSEEDAさんの琴線や逆鱗を、笠松将くんの眼差しを通して感じられるというのがとても不思議で。

 

例えが明らかに下手なのは分かっているんですけど、幼い頃初めてディズニーランドのシンデレラ城がバスの車窓から見えて涙が出た時のあの感覚に近い。

 

アルバムって曲順や曲間の秒数も含めて作品だーみたいなことを昔何かで聞いた記憶があるんですが、今回身をもって体感した気がします。

 

道端の花束も、Live and Aloneの歌詞が書かれたメモも、そしてお姉さんとの飾り気のない絆も、確かにありました。

虫をつかせないはずの栽培マンが最後めちゃくちゃ虫付けちゃってたのもまたなんとも言えない気持ちになったり。

 

そしてSEEDAさんの見てきた視界と「花と雨」の世界を一身に背負う笠松将くんには、私が昔から感じていたHIPHOPの魅力である「リアリティ」に通ずるものがありました

「できる限り嘘を少なく」と語る笠松くんのインタビューを読み終えた今は、もう一度「花と雨」を見たい一心です。

翡翠と銀幕

(2023.04.19推敲)

こんにちは、慣れないブログを書いています。

笠松将さんはいいぞ!のお話です。思い立ったが吉日!がモットーです。

 

…いきなりなんでって、

いや私が一番聞きたいです(消え入る声)

でも脳内で「ラブストーリーは突然に」のイントロが流れるくらい、一瞬にして惹かれたのは自分でも分かりました。

 

結論:「君と世界が終わる日に」と等々力比呂さんをよろしくお願いします

 

※以下笠松さんの出演作品(「おいしい家族」)のネタバレを含みます

 

・・

 

サブスクの配信サービスで、初めて作品を俳優の名前で検索しました。

出演作品が今公開されてるのかも分からないのに、映画館へ向かいそうになりました。

台詞を発していない場面を見て、「もう一度この映画をちゃんと見たい」と思って部屋を暗くしました。

 

そう、「おいしい家族」という映画と出逢いました。

 

笠松将くん(未だにしょうちと呼べたためしがない)が演じていたのは、翠(みどり)くんという、松本穂香さん演じる都会帰りの燈花(とうか)ちゃんの弟の役です。

 

私はいつも食べてきたごはんのおいしさが分からなくなりかけたとき、自分で何かを決断するのが億劫になりそうなとき、大切な人になぜか冷たく当たってしまいそうになったとき

たまたまそんなときに、「おいしい家族」と、翠くんに出会いました。

 

翠くん、ポップな音を吹かして軽トラで燈花ちゃんを迎えに来るシーンや、奥さんのサムザナちゃんに誕生日のサプライズをしようと目隠しして居間へ連れてくる場面がまず本当にかわいくて。いやかわいいんですよ

天真爛漫で竹を割ったような子だなぁという第一印象だったのですが

 

ただ、笠松くんの演じる翠くんには「それだけじゃない」感がずっとどこかにあって。

それは青治さんが結婚すると打ち明けて拍手で応えたときの表情だったり、法事で燈花ちゃんの横を跨いで通り過ぎるところだったり、いろいろなところで垣間見えるんですけど。

 

この「それだけじゃない感」や「子どものような大人のような何か」で、すごく翠くんを生き生きした子に感じさせるというか。

見ている側に全てを解釈させない笠松くんの機微によって、翠くんが物語のキャラクターから一歩踏み出した存在になったのかな〜なんて思ったりします。

 

実際現実世界で会う他人だって、どれほど仲が良くても全部を理解することってできないじゃないですか。

でも、その全部わからないことって、別に不快なことでもないですし。

ある意味そういうよく分からん部分も含めて人間なのかなとも思いますし。

 

「おいしい家族」には人の幸せのあり方や生き方はもちろん、ある種「分からないということの余白」を、どこか身近な場所から静かに伝えてくれるような瞬間があふれていました。視界が開けて、少しかもしれないけど昨日より人に優しくなれるような、私にとってそんな一作でした。

 

 

一番好きなシーン…

翠くんがおはぎをつまんで燈花ちゃんに口をもごもごさせながら何かを話している(※台詞は正直よくわからないというか、うまく聞こえません)ところです。

 

翠くん、初夏にあの島行ったらきっと見知らぬ私相手でもスリランカの歌とか弾き語りしてくれるんだろうな。絶対そう。夏には一曲歌えるように仕上げてそう。でもたぶん曲名は聞いても答えてくれなさそう(というか「知らない」って言われそう)。

ばったりあの軽トラとすれ違った方はぜひ私に教えてください。

…やっぱり劇場で見たかったな〜!!!

 

 

翠くん、ありがとう。

笠松くん、ありがとう。

しがない市井の民ではありますが、笠松くんと翠くんのおかげで私は仕事終わりにこの怪文書を書く元気が湧いております。

怖い。気付いたらTシャツとマスク買ってました。こんな文章量だからインスタグラムなんていうオシャレコンテンツに文章が入りきらない。

…せめて名古屋の地から、夜中ご近所迷惑にならんギリギリの声量でこエールを送ります。

これからも応援しております!

 

 

…皆さん、くれぐれも「君と世界が終わる日に」と等々力比呂くんをよろし(軽トラのエンジン音)